授業の場所
1学期は,普通教室で授業をすることが多かったです.
教科「情報」がはじまって5年間は,ともかく自分のアイデアを形にする(しようとする)だけで時間が経っていきました.自分の中での教科「情報」の世界観を膨らませることに一生懸命な5年間だったように思います.
今年度は,それに加えて,授業って,何?ということを改めて考え直そうとしています.
「情報の伝達」という単元があって,授業する立場なんだから,授業を通してどんなメッセージを伝えるのかをもっと意識しなくてはいけないんじゃないか.
教科書は10種類だとか20種類だとか世に出ているけれども,教科書をそのまま読んで教科書に書いてある実習をそのままやってもらうのではないとしたら,自分のオリジナリティを授業の中に入れていきたいのだとしたら,授業を自分のライブとして創り上げていくという意識をもっと高めてもいいんじゃないか.
つまり,自分の授業をデザインする.そういう意識をもって授業作りができないだろうか.そんなことを考えています.
そこで基本的なところから考えていこう,と思ってはじめに考えたのが,授業をする場所.
私にとって授業の経験は情報の教員としての経歴しかないので,これまで当たり前のようにパソコン教室で授業を続けてきました.普通の教室で授業をするということのほうがむしろ特別なことでした.
授業に間に合うように生徒はパソコン教室に来る.で,教員は資料を中間モニタに提示し,生徒はそれを見る.そして授業開始.
それでいいと思ってましたが,普通教室で授業をやってみると,それが手放しに「よい」とは言えず,ということに気がつきました.
普通教室には,余計なものは何もない.
教卓からは,生徒の顔が正面からみーんな見えます.本校のパソコン教室では,生徒席から教卓を見ようとすると,横を向かなければなりません.やっぱり横よりは正面から見てもらえたほうがコミュニケーションしている感じがします.
教員が情報を発信するために使うメディアは,自分自身と黒板.
生徒の視線が自分に来るか,黒板に来るか(あとはよそ見をするか).生徒全員に見られると,こっちも緊張感が高まりますが,伝えたいことを伝えるチャンスです.そこでちゃんと話せるかどうか,メモをとってもらえるかどうか.つまり,授業の組み立てに対する意識が生まれます.よく板書は1時間の授業で1面使い切るように構成を,という話を聞きますが,板書の構成は話の構成であり,書いたり話したり生徒に質問したり,ということはリズミカルに授業をするということ.デザインを考えるポイントが普通教室にはたくさんある.
共同作業は机を合わせてすぐできる
普通教室にある机は軽いので,自由にレイアウトが可能なのも魅力でした.コンピュータを使わないグループワークをするとき,机をさっと動かして広い面積を作り出すことが可能.この自由度は魅力です.
もちろん,ICTの環境がないところでの不都合はあるのですが,生徒と教員がコミュニケーションを重ねて授業というライブを構成するための環境としては,パソコン教室よりも普通教室のほうがすぐれているなぁ,と感じた次第.
何をいまさら,という感もありますが,でも気づけてよかったなぁと思うところ.
うちでも今年は教室授業を取り入れました。元教科がある人間としては判っていたつもりですが、それでもやはり普通教室での情報はやっていて新鮮でした。
ICTが当然になると、ICTが無いことは「制約」となる訳ですが、制約がある中でやる価値は十分にありますね。むしろ「パソコン教室でやること」にとらわれすぎていたかも知れません。
とらわれているのと,あとは
生徒:情報の授業はパソコン教室だ~,わ~い,パソコンで遊べるぞ~♪
教師:生徒がパソコン教室に来るようにすれば,こっちは楽やねん
という「行きたい」「来させたい」の部分だけが妙に一致しているから普通教室になかなかいかない,というのもあると思います.でも,この構図は情報の勉強の中身に対する興味を喚起するには結構ハードルを無駄に高くしているだけなので,目的に応じた教室の選別・利用ということで授業をしたほうが教員・生徒双方にとって幸せなんだと思います.