教科「情報」を愉しんでいるのは誰?

教科「情報」を愉しんでいるのは誰だろう.

例えば,情報の伝達という項目があったとする.

自分が発信したいことを,メディアを通して発信し,情報の受け手に理解してもらう.

それが,レポートであったり,プレゼンテーション・ポスターセッションであったり,CMであったり様々であるが,座学や実習を通して生徒に身に付けてもらうべく,授業を計画し,実施する.

難しいのは,「頭の中にあること」,「下書き・メモ」,「議事録」など材料としての「情報」を,受け手を意識して受け入れやすい「情報」へと変換する作業だ.

とうぜん,情報の受け手が困難さを感じないように構成しなければならない.そう,構成はとっても大切.受け手が飽きずに脳みそを働かせながら最後までつきあってくれるような構成.そこに,いろいろな方法論があり,当然授業でも扱うことになる.

・・・うん?待てよ,授業?

授業といったら,教員から生徒への「情報の伝達」だ.

そうだ,伝えなきゃ.

どうやって?

ただ言うだけじゃ,生徒はただ聞くだけになってつまらない.

つまらない話は記憶に残らない(だから,つまらない授業をやってしまったときには反省する).

可能であれば,教材を準備しているうちに感じる「なるほどなるほどー」(つまり,新しいこと知っちゃったなぁ,という一種の感動)を,生徒と共有したいじゃないか.

つまり,教員が「なるほどー」と思ったこと・調べたことをそのまま授業に持っていったって,だめだ.それは,知識の提供だけになって,生徒は受け取るだけになってしまう.単調でつまらない授業になってしまう.こういう授業をやっちまったときは,本当に反省する.

誰もが「単に話を聞き続けるだけ」は眠いだけで印象に残らない.頭を動かすか,体を動かすかしたい.

その授業のメッセージは?

メッセージを受け取る人はどんな人?

そのメッセージを伝えるための構成は?

そう,情報の受け手に応じた構成.どうしたら「ふーん」と言ってもらえるか.

準備の都合上,いろいろ調べる.

記憶にとどめてほしいことを整理する.

それを,構成し,編集し,表現する.

その場での視聴率は,どれくらいだろう.

その反省を,次につなげる.

そう,授業というライブをプロデュースする感覚.

情報の性質を扱う教科だからこそ,専門性の範疇としてできるはず.

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